新宿駅東口の地上が、リニューアルし、1ヵ月半ほど経ちました。『ルミネエスト』から『アルタ』のほうに向かって広場をまっすぐ突っ切ることができるようになったわけですが、みなさんはもう歩かれたでしょうか?
このスッキリした駅前を眺め、ぼくは考えることがあります。
というのは、ある人物のことが頭をよぎるのです。
その人物は、毎晩この広場に出没する、50代後半くらいの男性です。
何をしにやって来るのかというと、驚くなかれ、広場の街路樹の花壇に住みつくドブネズミへの餌やりです。
猫や鳩ではなく、ドブネズミです。しかもこの男性、持ってくる餌は、自分の食べかけのパンとかそういう適当なモノではありません。例えば、弁当箱に肉野菜炒めを入れてくるとか、食パンを適当なサイズに切ってタッパーに持ってくるとか、しっかり準備してやって来るんです。どう考えても奇人です。
だから以前より、ぼくは頭の上にクエスチョンマークが浮かびまくってました。いったい何なんだ、このネズミ男は? というか、いつから餌やりをやってるんだろう、と。
この8月、思い切って声をかけてみました。すると、相手は別にこちらを警戒することなく、口を開いてくれました。
「ネズミの数ですか? 今、ここ(一番上の写真・右側の街路樹)には、10匹くらいいますよ。ここで生まれた、まだ小さ目のやつばかりです。大きくなったら、だいたい全部どっかへいっちゃうんですけどね。でもそのうちまた、メスがここでお産をし、新しいのが生まれてきますよ。」
「餌やりは、もう4年くらいやってます」
「きっかけは、そうですね。前に、家でネズミを殺しちゃったんです。そのときに、命をこんなふうにしちゃいけないと思って。それの罪滅ぼしじゃないですけど、まぁそんな感じですよ」
「餌をやりに来るのは、仕事があるときは始発前の朝3時とか4時くらい。仕事がないときは、終電あたりの、夜1時くらいでしょうか」
4年も前からやっていたとは! しかも、出勤前の朝の3時4時ってどういうことなんでしょうか?
奇行にもほどがありますが、しかし意外にも、会話から感じるネズミ男さんの雰囲気には、特にエキセントリックな様子などはなく、むしろ落ち着いた印象を受けました。ただ、そんなふうに割とマトモそうな一面も持っていたことは、ひるがえって、普通の人の心の中に闇がひそんでいるような不気味さを感じたわけで…。
ぼくの思考は、ネズミ男さんのその闇の背景に向きました。
本人は「きっかけは罪滅ぼし」なんて言ってましたが、妙に曖昧なそんな動機で4年間もこんな奇行が続くとは思えません。もっと明確な気持ちがあるはずだろうし、それはいったい何なのか?
ぼくがたどり着いた答えは、寂しさです。
人はみな、孤独です。とりわけ都会なんてのは他人が多いだけの寒々しい場所ですから、心がカラカラになりがちです。誰もが例外なく、居場所を求めてさまよい、何とか見つけたささやかな癒やしを糧に、毎日を必死に生きています。
ネズミ男さんは4年前、心が乾き切った状態で、この広場を歩いていたんでしょう。そして、たまたま街路樹の花壇にネズミがいることに気づき、持っていたパンあたりを放り投げたら、小さいのが寄ってきた。単純にかわいいなぁと思った。次の瞬間、暖かく、けれど得体の知れない闇が、自分の中にすーっと入り込んできたんじゃないでしょうか。
そう考えると、リニューアル工事で街路樹が残されたのは、何かの因果かなぁと思えてなりません。